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セルフライナーノーツ 『V3〜青春カバー〜』
まずは、制作する経緯ですが、 2005年の夏のディナーショーが終わった頃、
当然のように2006年のディナーショーはどうする?なんて 話が出ていました。
が、それと同時に、堀内孝雄さんから一言いただきました
「シャ乱Qの再始動の話も進めないと・・」と 色々動き出すと、良い意味でいい事は重なるもので、
で、秋にシャ乱Qのライブが始まるなら、
その前に行う自分のディナーショーはカバーを中心に俺の音楽人生の青春を振り返りながら、
お客様との楽しい時間を共有できたらな?!って思ってました。
そんな始まりでこのアルバムの制作が今年に入ってすぐあたりから始まりだしました。
思い出話たっぷりなので、たぶんたくさん芸能人の名前が出てくると思いますが、
思い出のまましゃべりたいので、 ほとんど敬称略になってしまうこと、お許しくださいませ。

M-1,シングルベッド
もちろんシャ乱Qライブに向けて、アルバムとかベスト盤とか出るだろうし・・・。って思ってました。
なので、当初このシャ乱Qのカバーは入れる予定ではなかったのです。
しかし、この秋のシャ乱QはCD等のリリースが無いということが決まったので、
「おっと!これはシャ乱Qやつんく♂の音楽に最近になって耳を傾けようと してくださるお客さんに届ける
シャ乱Qのヒット曲が無いじゃないか!」 って思って急遽、歌ってそしてCD音源化することにしました。
シングルベッドという曲は本当に俺にとっては青春そのもの。
「音楽で絶対に売れる!」って自信をもって大阪から上京してきた俺が
「あれれ?そんな生易しいものでないぞ・・・俺にはできんのか?」 とか、
人間の尊厳まで失いそうになるくらい、ウダウダになっていた心に
太陽の光のように差し込んできたのがこの曲のヒットです。
「上・京・物・語」と言う曲で少し上向き加減だったのですが、でも、レコード会社との契約も切れそうだったし、
どうしても売りたいって思ったけど、でも、それよりも先に
「プロとして思い残すことのない最後のメッセージを書こう。男の本音を書こう」って思って作詞しました。
結果的には、ちょっと恥ずかしく、情けなく、女々しく、弱っちい男の曲になったのですが、
それが、日本中の男子の心に染み込んでいったようで、 100万枚という大ヒットになって、最後のつもりで書いた歌詞が、 まだまだ続く作家人生に勇気と自信をもたらせ、
その後何百曲と歌詞を書くきっかけを作ってくれたのです。
歌詞というのは、そこに真実の香りが少々しないと、人の心には触れていかないんだな、って思いました。
今回歌いなおしてさらに思ったことは、ライブでも散々歌わしてもらったけど、
本当に飽きないなって思ってたし、その歌い方でシングル以降ずっと来てるつもりだったけど、
新旧聞き比べてみると、かなり初々しく歌ってんだな94年度版はって思った。
なので、ライブにずっと来ていた人は、今回の歌い方の方がしっくりくるかも・・・・。
歌い方変えたつもりは全くないのに、すごいね。年輪って。

※コーラス:田中総史(第18回 ジュノン☆スーパーボーイ☆コンテスト<ロックボーイ部門>グランプリ)

     
M-2,青春の影
みなさんにとっては、テレビドラマの挿入歌になった曲というイメージなのでしょうか?
「ちい兄ちゃん!!」なんて言葉が思い出せるのかな?
しかし、俺にとっては中学時代にめちゃくちゃ聴いた「チューリップ」というバンドの曲という印象なんです。
この曲は「チューリップランド」というアルバムに入ってて、多分当時のベストアルバムなのかな?
ちょっと忘れましたが、 そのアルバムをフォークソング部の友人に借りようとしたら、
そいつがオーディオマニアで俺ん家のオーディオのシステムを聞いて、
え?てんとう虫のレコードからモノラルのカセットに落とすの?ってちょっと 引かれて、
「そんなんやったら、レコード盤痛むやん、俺ええ音でダビングしたるから、それで聴き」って言われて、
で、そいつん家行って、ダビング工程を マジマジ見ながら、「へ〜へ〜」を連呼。
もともと機械いじりには興味あったが、これほど予算のかかる仕組みは初めて見て、
でも、そのオーディオセット自体も彼が中古品で買ってきたプリメインアンプに
親戚のお兄ちゃんの払いさげのプレーヤー。
カセットデッキは確かサンスイだったか、ローディだったか、
バイアス調整が出来る、そこそこ優秀な機材だったのは覚えています。
そんなこんなで、アルバムをダビングしてくれて、さらに、
「これ、ベスト盤やけど、もっとライブで盛り上がる曲とか、チューリップファンは知ってる名曲があるから、
明日までにダビングして、持っていったるわ〜」って、 何かと作ってくれた。
その頃中学3年も春になり、陸上部だった俺は、夏の予選大会が終われば、
実質受験体制に入るわけだ。(実際は秋まで残ったが)
そんな青春の心の隙間に入ってきたチューリップとオーディオ。
何度、家のラジカセで聞いたことか。
今でも、その頃のチューリップのアルバム曲を聴くと、涙が出てくるし、
大好きだった女の子のことが数人?!浮かんできます。。
で、話もどると、そのオーディオマニア君がフォーク部だったのもあって、
陸上部引退後は、俺も受験の合間にフォーク部に入り(勝手に) それまでもちょこちょこは弾いていたが、
本格的にギターをやり始めた。
で、初舞台。学園祭のステージでそのオーディオマニア君ともう一人の友人と 3人。
ギター持って歌を歌った。最高だった。
ただ、この「青春の影」は当時の俺達には難しいナンバーで、 この時は歌えなかった。
いつか歌ってやろうって思ってたことが37歳になって 実現する。

     
M-3,悲しい色やね
その当時オンタイムで惚れた曲ではなかった。
ツイストやら、西城秀樹やら男っぽいのにあこがれてましたが、
小学生だった俺には、そのイキな歌声はストレートに飛び込んでくるものではなかった。
でも、実際に恋をいくつか重ね、バンドをはじめ、音楽の奥深さを知り、
歌から溢れるメッセージというのが分かるようになっていき、
20歳も超え、バンドの打ち上げなんてやって、酒でも入ったもんなら、
道頓堀の橋の上で男2.3人肩組みながらこの「悲しい色やね」を 知らぬ間に歌っていました。
この曲のパワーってほんまにすごいです。
大阪の男の子らで感動しない奴はいないんじゃないかな?
「バンドなんか辞めて働いてよ」なんて女の子がたくさん居るかもしれない現実の中で、
「夢しかないよな男やね。でも憎めへんね。あんた」 なんか、そんな風に聞こえてきます。
売れない頃のバンドマンを本当に勇気付けてくれる、そんな曲だと思ってました。

でも、上京して、カラオケ屋さんでこの曲を歌うともっと違う感動が生まれてくるんです。
涙が出てくるんですね。あの恋のこと。また違う恋のこと。途中でうやむやになった恋のこと。
なんででしょうね。

でも、それが音楽の持つ力ですね。

       
M-4,DON’T CRY MY LOVE
高校生になって、ギターを独学でどんどん勉強しているころ、 長渕剛に出会います。
確か小学生の頃、「順子」を歌っていた人、そして、俺の憧れの石野真子さんと結婚してしまう奴・・・。
そんな印象だったのですが、 私立の高校に入学するといろんな男がたくさんいて、
俺がちょっとギターをかじってるとなると、 「俺はアースシェイカー」とか「俺は浜省」など、いろんな名前が出てくる。
中には洋楽バリバリでオジーオズボーンやモトリークルーやラットといったハードなのもたくさんいた。
高校入学の祝いにじいちゃんと親父から高級なオーディオを買ってもらって、
それが最終的に、俺の音楽を聴く耳を育ててくれたと思っているし、音へのこだわりが出来た。
まあ、俺と同じようなセットを組んでいるような奴は高校にも居なかった。
で、今度は俺が色々ダビングしてあげる立場になった。
みんなが、それぞれレコードをこそっと学校に持ってきて、それを俺が受け取り、ダビングしてあげるというものだ。
そうやってくうちに俺ももちろん自分の分も録音していくので、自然といろんなジャンルを聴くようになった。
で、その中に長渕剛の曲が入っていて、「いいやん!」って思ったんです。
ギター1本でも歌えるし、コード的にもすごく弾き語りしやすいし、
練習になるような基本のアルペジオ、3フィンガー、ストローク。 などなど、色々です。 覚えたな〜。
そんな剛が「ロック宣言」したあたりのアルバムだと思います。
「HEAVY GAUGE」
フォークギター1本で表現はしにくくなったんですが、
あえてヘッドフォンをプリメインアンプのヘッドフォン端子に突っ込みVOLを目いっぱいにして
聴くのが好きだったこのアルバム。
中でも、この「DON’T CRY MY LOVE」は大好きでした。
ドラマ「家族ゲーム」に出てくる先生のイメージそのものだったからかな?
そのドラマが無かったら、ここまで、印象に残っていなかったかもしれないですね。
      
M-5,気がつけばあなた                           
青春カバーって事にしては、最近すぎるといわれてしまうかもしれませんが、
この曲に出てくる場面自体が青春なんです。
大学生時代って、(まあ、高校でもいいのですが、俺、男子校だったもんですから)
毎日顔を見る当たり前の時間があって、それにはいつか終わりが来るなんて、想像もしていなかった入学式の日。
クラスやキャンパスで見かけ「おーい!」なんて気軽に声かけ、
「飯食った?え、まだ、だったら一緒に行こう」なんて本当に毎日、普通にたくさんの青春がそこにはありました。
「今日、昼から休講だし、海行こうよ!」とか、そんなノリだったし。

でも、2年3年になるとそれぞれが専攻する科目が違ってきたり、
補講に出なきゃいけない奴が出てきたり、ダブる奴もね。
なんだか、自然に会えなくなって行く・・・。
そんなわびしさに気づくのって、もう、就職内定も決まって、卒業まで後何ヶ月という段階に入ってからでした。
携帯電話なんてない時代だったので、今ほどレスポンスがよくなかった。
学校で会ってドライブや食事はよくしたけど。
「アイツ家の電話番号なんばんやっけ?」とか、「就職も決まったし、 もう、実家に帰ってるで」そんな感じで、
1年生の時あんなに 仲良かったメンバーに会うのがなかなか難しかった。

だから、「気がつけばあなたがそこに居る」って実感している間に
その気持ちはきちんと形にしておかないと、本当に片想いで終わってしまったり、
それにも気がつかないほどの寂しい時間となって、後々、思い出したり してしまうよ。
って思って作った歌詞だったので、 ちょっと思い入れもあって、今回のアルバムに入れさせてもらいました。

※コーラス:松浦亜弥

M-6,月のあかり                             
高校時代、バイト先の先輩が地元のちょっとした悪ガキでして、まあ、いろんな遊びに連れて行ってもらいました。
人生で「ああ、かっこいいな!」って初めて男に惚れたというか。
「先輩におごってもらうことの大事さ」とかを知りました。
ある日、晩御飯がてら先輩の顔の利くカラオケ屋さんに連れて行ってもらって、
先輩は俺が歌うまいのを知ってて、そこに連れてってくれたわけですが、 要するに、俺が良い歌を歌うと店が盛り上がって、
で、先輩の顔が立つという こういう寸法ですよ。
ま、そのころはそんな深くは考えてなかったんですけど、
少し年上のお姉さんとかに「いぇ〜い!うまいうまいやんか〜!」とか言われて調子こいてる!って感じだったかな?うん。
で、店出たときに普通割り勘、もしくは先輩6に俺4とか、なんかそんなイメージやったんですが、
俺が払おうとすると、 最初は「ええねん、ええねん」って軽い感じだったんですけど、
俺があまりにも礼儀として払おうとすると、先輩がキレはって、俺の胸倉つかんで
「俺にもカッコつけさせや。 こういうときはだまって、<ご馳走様でした>ってそれだけでええねん」って。
「わっ」て思った。そか、男はカッコつけなあかん時があんねんや!って。
カッコイイって思った。
それ以来、俺ずっとマネしてます。その言葉。

その先輩はあれ程自慢気に俺にたくさん歌を歌わせて、場を盛り上げて盛り上げてして、
最後自分で絶対に歌う曲がこの「月のあかり」でした。
この曲は先輩と一緒のときは歌ったらしばかれるんです。
「お前歌ったら、俺の歌しずむから」って。
その先輩、数年前に他界されてしまいました。
色々 教えてくださり、ほんまありがとうございました。
どうか、安らかにお眠りください。
そして、今後も俺を見守っててください。
     
M-7,遠くで汽笛をききながら
受験シーズンに入ってもギターの練習ばっかりやってる俺を 見かねてか、親父と約束したことがあった。
大体仲間連中も高校入学と同時に 親からのプレゼントはバイクが多かった中、
俺は、オーディオセットを買ってほしいと頼んだ。
中型以上のバイクは40万以上するし、危険やし、 オーディオやったら死なへんし、
お父さんも音楽聴けるし ええやん!ってな誘い文句で約束したのです。
なので、ギターをケースにしまって封印し、2月の受験まで数ヶ月は勉強に集中し、
ま、その合間に、オーディオのカタログを見るのが 唯一の楽しみでした。
で、結果合格し、大阪でんでんタウンに足蹴に通って、自分の理想のオーディオを組んで値段の交渉に入るんです。
ショップによってはソニーのアンプは安いけど、ダイヤトーンのスピーカーは高いとか、
全部まとめて一件の店で買うと、 値引きはちょっと足りないけど、30000円分のレコード券がついてくる。
とか、 迷うアイテムイッパイです。
俺が選んだのはアンプは我慢してプリメインアンプ(ほんとはバラでパワーとメインは分けたかった)をONKYOにした。
サンスイのアンプがラックスマンやマランツよりSNあたりも高水準になって、評価されていましたが、
スピーカーがどうしても、ONKYOのモニター2000というのにしたかったので、
アンプとのマッチも考えて アンプもONKYO、デッキはローディ、プレーヤーはビクター針はテクニカと。
まあ、バラバラで買いました。
結構良い値段でしたね。オヤジビビッてましたもん。。。
でも、ほんまこだわったセットがあって、今の仕事に就けたわけでして、
ありがとうございました。オヤジにおじいちゃん。

で、その時、散々値引きしたので、その時つくはずだったレコード券も
かなり現金で値引きしてもらったので、3000円分しかついてこず、
その足でオヤジと一緒にレコードショップに行って、1枚だけ アルバムを購入することにしました。
そこで、手にしたのが、解散しばかりのアリスのアルバム 「ベスト オブ アリス」というものでした。

まあ、車の免許を取得してからも常に車に入っているアルバムで、
夜中、神戸のお姉ちゃん家から大阪へ1人帰ったりする時、 カーステ爆音で、一緒に歌いながら帰ってきたもんです。
今回シャ乱Qの復活にそんなアリスのメンバーから促していただけるなんて、ほんま幸せもんですよ。俺は。

昨年の冬のディナーショーで、歌わせてもらったというのもあって、
この曲を大事に今後も歌っていきたいです。

※コーラス:堀内孝雄

M-8,トワイライトアベニュー                    
俺は小学3年生からの、ラジオっ子でして、 夜中の深夜ラジオを聞くのが大好きでした。
特に大阪ではMBSの22時から始まる「ヤングタウン」という番組は
本当に小学生で兄貴のいない俺には(長男なので)政治のことから、 ヒット曲、これから流行る曲に漫才師、そしてHなトークまで、
まるで親戚のお兄ちゃんから夏休みに聞く大人な話を毎日聞くことの出来るものすごい情報コンテンツでした。
はい、俺にとっては、ということですが・・・。
で、そんな「ヤンタン」にはいろんなレギュラーが居ました。
さんまさんや鶴瓶さん、チャゲアスにイルカさん、 チンペイさんなどなどすごいですよ!
で、その中でちょっとだけ変則だったのが金曜の夜。
月〜木は22時〜25時の放送なんですが、 金曜は23時55分くらいに終わって、
そこから1時間 「ヤンタン、キンドカン」という番組がありました。
たぶん金曜と土曜の間なんで「金土間」で「キンドカン」やろな。って 思ってましたが・・。
で、その番組のパーソナリティが、確かスタレビの根本要さんだったはずです。
だからかそうでないか、全くわかんないですが、とにかく、スタレビ(俺はずっとスタレビュと思ってた)の曲がよくかかってました。
よって、1st、2ndアルバムと当時買いましたよ。
絶対全国区で売れている人だと思ってました。(表現おかしくてスンマセン・・・)
東京弁だったし、このキンドカンは東京から出してるんだろうな、ネット番組なんだな。って。
でも、実際大阪まで毎週来て放送してたってその後聞いたときはびっくりでしたが。
何の因果か入った音楽プロダクションにはスタレビさんが居ました。
すごくうれしかったです。
最初にシャ乱Qとして、ヤンタンにゲストに出させてもらった時、要さんでした。
「わ、グラサンはずしてる!」って思いました。
要さんの声のキーは16歳くらいの元気で若々しい俺のキーでギリギリ出るか出ないかってところで、
練習は1日1回って 決めてたような気がするな。
無理に高音を何度も使うと声帯が切れちゃうので。
気持ちいい歌ですね。
M-9, MOON LIGHT  BLUES
さて、チャゲアスです。
同じくチャゲアスもヤンタン火曜日のレギュラーで、イルカ、べかこ(現:桂 南光)さんから引き継いだ形で入ってきました。
(前回の「おやすみ」の時も同じ事語ってるかもしれませんが。)
どの曜日も大体局のアナかMC会社に所属しているアシスタントを置くものですが、
この火曜日は男二人のトークだったわけです。(後に女性MCが加わります)
ほかの曜日と違い、爆笑するようなことはなかったけど、
でも、日常の音楽を目指す男子にとって、九州の田舎からヤマハのコンテストで合格して、ベスト10に入る曲が出て、
その後ちょっと苦しんでるんだよ的なこともどんどん話すし、
でも、大阪には心強いヤンタンファンが居て、本当に 美しいファンが多かったのを覚えています。
ライブ会場に行ってチャゲアスの生の声を聞くのが本当に 大好きでした。
俺が高校1年生の時が同じくチャゲアスのヤンタンの任期で 約1年間、本当にいろんなことを学ばせてもらいました。
ギター弾き始めたのが遅かったとかって話を聞くと
俺でもまだまだチャゲアスみたいになれるで〜!ってめっちゃ思ったしね。
後は、飛鳥さんの声はよくモノマネしました。
で、その俺が高校一年の時にニューリリースとなったのが 「INSIDE」というアルバムで、
その中には俺の大好きな 「夢のかなた」という曲があって、
当時大好きな彼女にその歌詞を手写しで書いたものとカセットテープをプレゼントしたことは今でも忘れません。
彼女が何度も曲を聴き込んだ頃、
アルバムの中で2番目に この「MOON LIGHT BLUES」が大好きな曲だよって言ってました。
1番は教えてくれませんでした。
いまだ、気になります・・・。
M-10,ピエロ
俺の中学の学園祭で俺が中学3年の時に初ステージで 舞台に上がった話はしましたが、
これは、この年初めて開催されたもので、一応オーディションみたいなものがあって、合格した者のみのステージでした。
で、それ以外は何をしますかといいますと、
1年 学校指定の決まった歌。
2年 自由選択曲
3年 お芝居

で、2年生は各クラス共、毎年何を歌うか迷うわけですが、
俺が1年生の時の2年生がこの「ピエロ」という曲を歌ったのです。

最初、誰の曲かわかんなかったんです。

シングル曲でないわけですし。

そのピエロを歌ったクラスはなぜその曲を選んだかというと、
その2年の先輩が1年の時に2年生のあるクラスが 「ピエロ」を歌ったからだというのだ。

いい曲が引き継がれて行くわけです。

でも、俺の興味はあこがれの2年生の女子がその「ピエロ」を歌うクラスだったので、
それはそれは、本当に目を真っ赤に しながら、そのピエロを聞きまくりました。

たった1回ですけど。

キューンって胸がなりましたよ。はい。

そんなピエロ、俺の学年も引き継いで歌ったクラスがありました。
うちのクラスは何を歌ったっけ???
ピエロを歌いたいクラスが多かったので、抽選になって負けたから。。。
覚えてないなぁ。。。
で、今回アルバムでようやく歌えたわけです。

是非、皆さんもキューンってなってくださいね。
M-11,情けない週末
まあ、仕方ない高校1年生でしたね。
覚えたばかりのマージャンマージャンの毎日です。
なんでかな?ってくらい。

バンドのメンバー4人集まったら、練習しないで、 マージャンです。

で、その頃俺は自分の私立の友人より、公立の高校にいった連中とつるんでたんで(夏休みまでかな)
公立に行った連中がその学校で出会ったマージャン出来る奴を連れてくるんです。
で、その辺とも仲良くバンドのようなマージャンのような日々が続くわけですが、
その中で1つ得たものがあるとしたら、
佐野元春のレコードを持ってる奴がいて、そいつがお気に入りのモトライオンをマージャンする時、必ずBGMにするんです、
まあ、朝までやってるといやおうなしに覚えてくんですけど、 いいアーティストだな。って思って、
自分でもレコード借りてカセットにダビングして聴くようになったんです。
あの頃は高校2、3年までモトライオンのカバーをバンドでよくやってました。
ステージでも必ず2曲くらい歌ってましたよ。

でも、この情けない週末はさすがにピアノがメインを張るので、バンドで演奏するには無理でした。

ようやく、この歳になって歌うことが出来たんです。

相当テクの必要な歌ですが、自分なりのニュアンスで 歌ってみました。

気持ちよかったな。

             
M-12,まごころの道
ちょうどこのレコーディングが始まったころ、美勇伝のコンサートリハが始まった頃で、
当然ですが、美勇伝が歌うわけです。
で、コンサートのリハなのに、自分で、何度も歌詞カードを見ながら、うん。うん。ってうなずいちゃって、
「あれ?この曲、相当いいぞ」 って自画自賛してしまい、
レコーディングスタッフに V3に入れたいねんけど、どう思う?って聞いたら、みんなOKで。

でも、アルバムの曲やし、念のため石川にも(美勇伝リーダーなんで)
「美勇伝の曲、アルバムでカバーしていいかな?」って聞いたら 即OKだったので、
「よし、これは歌うしかない!」 って思いました。

Bメロが本当に短くすぐサビでそのサビもすごくシンプルなんです。

もし、シングル曲として美勇伝に書いていたら、後1節なんかを足して長くしていたと思うんです。
アルバム曲の妙ですね。
でも、この曲の魅力は超シンプル構成であることだよねって 思ってますし、
実際自分で歌ってみて本当にそう思いました。

アルバムの最後を締めくくってくれたこの曲に出会わせてくれた美勇伝にもほんとに感謝です!

ありがとうね。
最後に。
アルバム作りは本当にワクワクします。
眠れない時間が続いてヘトヘトでも何か楽しいのです。
もちろんオリジナルの時はオリジナルの楽しみ、
プロデュースの時はこれまた決断力も必要なので、
決まった時は楽しい!
本当にレコーディングは楽しいです。  

でも、それもそこそこ見えてくると、
今度はどうしても お客さんに聞いてもらいたくなるんです。

俺はなんなんだ!って・・・・・。ま、いっか。

このアルバムが皆さんの「青春の心」の支えになると本当にうれしいです。

ありがとうございました。                        
つんく♂
2006年5月5日