『つんく♂のリズム論』


 
 
■ たとえ、その内容が理解できたとしても、なまりそのものは、なかなかとれない。
 
10歳から、ず〜っと日本で暮らして、もう早20年。
という、30歳の外国出身の人がいたとしても、その人は、なぜか、なまっています。
もちろん、その人の頑張りによっては、日本にずっと住んでいる人よりも、
和心があったり、漢字を書いたら、その字が美しかったり、詩吟が歌えたり・・・。

でも、発音になまりを感じます。
少しばかり発音になまりがあっても、意味は通じるし、会話も止まらなければ、
その問題は大した問題ではなく、生活においてなんら支障はありません。

でも、3歳頃までに、家族の中に日本語を話す人がいた。
アメリカに住んでいるが、両親は日本語で会話をしていた。

と言うような人が、10歳くらいから日本で暮らした場合は、そのなまりがほとんどなく、
日本語をマスターしていきます。

日本の地方出身者も、ラジオの普及以降、常に標準語を聞く機会が増えたため、
東京で暮らしていても、なまりをあまり感じさせなく過ごせる人も多いです。

関西人に関しては、TVやラジオ、国語の先生も、日常、関西弁を使うので、
上京して仕事をする人たちにも、関西弁しか話せない人が多いです。
もちろん、標準語のドラマやニュースも見ているので、
関西出身かどうかを感じさせないくらい、東京に溶け込んでいる人もいます。

僕が思うに、言葉のほとんどが『リズム』で出来ているような気がするのです。
大阪弁や、博多弁。イタリア語にフランス語。

いろんな言葉がありますが、会話が全部、リズムに聞こえてきます。

3歳くらいまでに叩き込んだもの以外は、
自らが訓練して、その意味を理解していかないと、いつまでも成長しないような気がします。

そうです。3歳以降の私達のなまりは、もう取れないのです。

でも、流暢に英語で会話をしている証券マンや商社マンのような感じで、
RAPやパーカッションを叩くようなことは、誰にでも出来るようになるのです。
叩けるのと、上手なのは別なのですが、でも誰も叩こうともしないのです。
叩くときに、リズムの成り立ちや仕組みを理解して叩けば、
流暢に聞こえてくる日が、どんどん近づいてくるのです。

理解しようと心がけて聴かなければ、単なる「音」にしか聞こえてこないのです。

全ての音楽のリズムをむき出しにして、内蔵を読み取ることが出来れば、
リズムに対する恐怖感はなくなります。

初めて英語圏に入った時、英語で話しかけられると、右から左へ音が流れて行きました。
「NO NO NO!」ってな具合に。
でも、ある程度、英単語を覚えるようになると、相手が何を言っているか理解しようとすれば、
その言葉が理解できるような雰囲気になります。

英語の歌の歌詞を知らなくても、CMソングとかで、誰でも知っている曲を
子供の頃から100万回以上聞いたとして、なんとなくソラで歌えるようになっていても、
その内容を理解しようとしていなければ、歌詞の意味や、なんという単語を使っているのか、
全く分からないのと同じです。

幼稚園のお遊戯で、音楽に合わせて先生の振りマネをして、
なんとなく踊ったり出来てほめられていた人が、大人になり、ただノリだけでダンスを踊っていても、
それは、お遊戯の延長だったりします。

でも、その国がお国柄、ダンスを小さい頃から踊る国の場合は、


ノリだけでリズムを表現できていることも、たびたびあります。

それは、その国の、ダンスそのものが、リズムで出来ているからです。

日本にも元来、リズムというものがあって、阿波踊りやだんじり、ねぷた祭りなどは、
全てリズムだけで表現するものです。
でも、それが今主流のPOPSに変換できるか!? となると、
実際はそうではないのです。

サルサやルンバなどは、そのままPOPSに変換できますが、
阿波踊りや民謡の類は今のPOPSの主流ではないので、
日本人には、POPSは、なかなか表現出来ません。

でも、POPSは頭の中でどんどんリズムに変換していけば、
なにも恐いものなどなく、簡単に習得できるものです。

商社マンが使っている流暢な英語のようなイメージ。

リズムを振りまねと考えず、そのリズムを数値に置き換えて刻んでいけば、
誰にでも、リズム感が養えます。

それが、たとえなまったものだとしても、なまっているかどうかも解からないより、
ずっとかっこいいと思います。


(2004年12月)

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